熊本地震

【熊本地震】がれきの下から周り励ます「みんなも頑張らなんよ」

熊本県阿蘇村で倒壊した自宅の下敷きになった後、搬送先の宮崎県内の病院で死亡し、同村が23日に災害関連死と認定した藤本ヤス子さん(69)。

 

「私は大丈夫。みんなも頑張らなんよ」。

 

がれきの中で助けを待つ間も、救い出されて住民の軽トラックで病院に運ばれる時も、声をふりしぼって近隣の被災者や周りの人々を励まし続けていた。 

 

【熊本地震】がれきの下から周り励ます「みんなも頑張らなんよ」

 

藤本さんは16日未明の大地震で、自宅1階の梁(はり)に押しつぶされ、左脚を骨折した。

 

暗闇の中、懐中電灯のわずかな明かりを頼りに、約10人の住民が1時間ほどかけて藤本さんの体を引きずり出した。だが119番がつながらず、藤本さんは軽トラックで病院へ運ばれた。  

 

19日に脚を手術する直前にも、藤本さんは電話で近所の女性に「私も頑張る。あなたも頑張って」と伝えた。

 

その後、容体が急変。21日、帰らぬ人となった。  

 

親戚の渡辺正文さん(61)によると、藤本さんは近くのゴルフ場でキャディーを長年務めた。地域の盛り上げ役で、手作りの梅干しを具材にしたおにぎりを近所に振る舞うなどしていた。  

 

“気配り上手なあねご”の死に、渡辺さんは「自分のことは後回し。周りの人を優先する優しい人だった」と肩を落とした。

 

(共同) 

【熊本地震】夫婦同じベッド分かれた生死、夫に「助かってごめん」…暗闇の中「頑張らにゃならんばい」励まし続け 2回目震度7

目の前で励まし続けたのに、夫の呼吸は少しずつ弱まっていった-。

 

16日未明、2回目の震度7の激しい揺れに襲われた熊本県益城町。夫婦が寝ていたベッドはがれきの下敷きになり、妻の内村ミツエさん(79)だけが一命を取り留めた。

 

「助かって、ごめんなあ」。すぐ横にいながら運命は分かれた。あの日から5日。自分を責めずにはいられない。  

 

【熊本地震】夫婦同じベッド分かれた生死、夫に「助かってごめん」…暗闇の中「頑張らにゃならんばい」励まし続け 2回目震度7

 

16日午前1時25分、突き上げるような縦揺れとともに、多くの家屋が倒壊した益城町平田。自宅で就寝中だったミツエさんは、天井が崩れ落ち、落下物が頭に当たって目が覚めた。

 

真っ暗で何も見えず、がれきの間に挟まれ、ほぼ全身の身動きが取れない。  

 

「父ちゃん、大丈夫なぁ?」。

 

数時間前まで一緒にテレビを見て、同じダブルベッドで眠る夫の宗春さん(83)のことがすぐに気になり、呼び掛けた。

 

そばで返事は聞こえたが、様子がおかしい。真上から大きな梁が直撃し、重いけがを負っているようだった。  

 

2人が生き埋めになっていることに気付き、隣に住む孫娘の愛美さん(24)は慌てて119番した。

 

何度もかけるが、なかなかつながらない。がれきの中からは耳慣れた宗春さんの声。「もうすぐ助かるけんね」と呼び掛けた。ようやく救急隊が到着し、祈るような思いで救出作業を見守った。

 

「頑張りゃならんばい」。

 

暗闇の中、ミツエさんは宗春さんに声を掛け続けた。しかし、次第に返事は聞こえなくなり、呼吸の音も消えていった。先に救助され、外で待ったが、宗春さんは助からなかった。

 

連れ添って50年以上。口数が少ない宗春さんはいつも聞き役だったが、穏やかな笑顔が不思議と心を落ち着かせてくれた。

 

毎朝ゆっくりと散歩した川沿いの小道、ニンニクやタマネギを育て始めた家庭菜園…。長く続けたタクシー運転手の仕事を退き、2人の時間を楽しんでいるさなかだった。  

 

対面した宗春さんの頬はとても冷たかった。「私ばっかり助かって。父ちゃんを助けてやれんかった」。

 

幼い時からかわいがってもらっていた愛美さんも「助かるとうそをついてごめんなさい」。眼前で起きた大切な人の死に、泣いて謝ることしかできない。 

 

産経新聞

【熊本地震】うねる大地 夢奪う 学生村ぼうぜん

16日未明の最大震度6強の「本震」に始まり、断続的に襲ってきた余震が、熊本、大分両県の大地を深く切り刻んだ。

 

道路の寸断で孤立し、土石流で茶褐色と化した集落。雲が厚く垂れ込め、日没を待たずに降りだした大粒の雨が、自衛隊や警察、消防の救助隊の行く手を遮る。

 

【熊本地震】うねる大地 夢奪う 学生村ぼうぜん

 

「必ず家族、友人の元へ戻る」。窮地を脱した被災者たちがいる一方で、刻々と犠牲者は増えた。避難所では食料や水などの物資不足という現実もあらわになってきた。  

 

震度6強の激震が学生アパートを押しつぶした。熊本県阿蘇村の河陽地区。近くにある東海大農学部の学生が多く住む「学生村」で、わずかな差が若者の生死を分けた。

 

「突然どーんと突き上げられた後、何も分からず隙間に逃げ込んだ」。

助かった若者は地面にへたり込み、やがて、がれきの中から発見された友人たちの遺体を涙で見送った。  

 

崩れ落ちた山が国道57号をのみ込み、阿蘇大橋を崩落させた。

 

その大橋を渡った先に数十棟のアパートが集まる学生村はあり、約830人が暮らす。4棟ある2階建ての「グリーンハイツ」では複数で1階部分が押しつぶされた。  

 

1階に住む同大3年の宮本真希さん(20)は就寝中、突然の大きな揺れに目が覚め、壁が倒れてきた。

 

夢中で目の前の隙間に逃げ込んだが、身動きが取れない。自力で逃げた学生たちが救助活動に当たり、「頑張れ」「大丈夫か」と励まし続けた。

 

約3時間後、知人らがチェーンソーでがれきを取り除き、無事救出。「助かったのは友人たちのおかげです」と感謝した。  

 

別のアパート1階に住む農学部の女子学生(22)も「柱か机の下か分からないが、目の前の何かの隙間に入り込んだ。『助けて!』と何度叫んでも反応はない。

 

そのうち『壁をたたいてください』という声が聞こえたんで、夢中でどんどんと壁をたたいた」。  

 

同じく1階に住む同大1年の中島勇貴さん(18)はうつぶせで寝ていると、背に重たいものを感じた。

 

「息苦しく、死にたくないと呼吸に専念した。真っ暗でどれほど時間がたったか分からないが、やがて鳥の声が聞こえ朝だと思った」。チェーンソーで体が通れるだけの穴が開き、引っ張り出された。  

 

救出された学生はぼうぜんと立ち尽くしたり、簡易ベッドにへたりこんだりしていた。その脇を、毛布にくるまれ、ブルーシートで隠された複数の遺体が運び出された。

 

その姿を見つめながら、学生たちはすすり泣き、手を合わせ、黙とうした。  

 

熊本県警によると、遺体で見つかったのは同大4年の脇志朋弥(しほみ)さん(21)と、同1年の清田啓介さん(18)。2人とも1階で見つかった。もう1遺体は身元が確認されていないが、1階に住む男子学生の可能性が高い。  

 

脇さんは勉強熱心で、頑張り屋だった。「教員になるか、大学院に進学するか相談を受けていた。本当に残念だ」。先輩の一人は悔しがった。

 

清田さんは明るい性格だった。「最後に会ったのは15日。一緒に食堂でご飯を食べた。まさか最後になるなんて…」。同級生は声を詰まらせた。

 

西日本新聞 

【熊本地震】生きて…母の祈りは届かず

「生きて」-。そう願って握り続けた娘の手は冷たくなった。16日の地震では、多くの人々の命が容赦なく奪われた。「昨日まであんなに元気だったのに」。家族や友人らは信じられないような現実に打ちのめされ、涙に暮れた。  

 

熊本県益城町福原の自宅で亡くなった河添由実さん(28)は、両親と兄、祖母の5人暮らし。近隣住民によると、つぶれた1階のがれきの隙間から伸びた由実さんの手を握りしめながら、母親は「早く出してあげて」と声を震わせていたという。

 

【熊本地震】生きて…母の祈りは届かず

 

小学時代にピアノを教えていた50代女性は「『戦場のメリークリスマス』が好きで、人一倍練習していた。亡くなったのを信じたくない」と泣いた。

 

福岡県宗像市の福田喜久枝さん(63)は夫の実家が益城町にあり、14日の地震で受けた被害の片付けのために来ていて家の下敷きになった。

 

16日午後8時ごろ、無事だった夫に付き添われ、遺体は宗像市の自宅へ。知人の60代女性は「地域の行事を積極的に引き受けてくれ、頼りにされていた」と目を潤ませた。  

 

自宅の下敷きになり亡くなった熊本県西原村小森の加藤カメノさん(90)と、ひとみさん(79)は義理の姉妹。

 

ひとみさんの実弟の藤森敬朗さん(66)は「優しい姉さんだった」。西原村で亡くなった野田洋子さん(83)は周囲に手料理を振る舞うのが好きだった。

 

長女の久美代さん(59)は「孫が関東から帰省すると、うれしそうに料理していた。無理にでも私の家に連れて行けばよかった」と泣き崩れた。  

 

同県嘉島町の冨岡王将さん(84)は、就寝中にがれきの下敷きとなった。約半世紀にわたる親友の徳臣太八郎さん(83)=同町=は「実直な植木職人。私の庭も手入れしてくれた。壊れた私の家を復興して、あの庭を守りたい」と語った。 

 

西日本新聞

【熊本地震】絆強かった益城の夫婦、帰らぬ人に 友人の涙止まらず

熊本県益城町平田の西村正敏さん(88)、美知子さん(82)夫妻は仲が良く、近所でも穏やかでまじめな人柄として知られていた。

 

近所の住民によると、2人は米や麦、梨などをつくった。10年ほど前に正敏さんが病で体が思うようにならなくなるまでは、地区の夫婦らのグループで年に1回、2泊3日の旅行に出かけるのが楽しみだった。

 

【熊本地震】絆強かった益城の夫婦、帰らぬ人に 友人の涙止まらず

 

今も美知子さんが自宅で食べる米をつくり、正敏さんの介護もしていたという。  

 

50年以上の付き合いがあった米満京子さん(78)は16日、避難先の公民館で西村さん夫妻が家に閉じ込められたと聞いた。

 

「何とか生きていてほしい」と祈った。

 

亡くなったという知らせに涙が止まらなかった。

 

「美知子さんは、思うように動けない正敏さんを残して逃げられなかったのかもしれない」。

 

米満さんは最後まで強かったであろう夫婦の絆を思った。 

 

朝日新聞

【熊本地震】就寝中に倒壊家屋の下敷き…高齢者中心に犠牲 「孫が生きがい」「地域の“母”」 

孫が生きがいだったおじいちゃんが、地域の“母”として慕われていたおばあちゃんが、突然帰らぬ人となった。

 

激しい揺れに再び見舞われた九州では16日、倒壊家屋の下敷きとなり多くの人が犠牲に。

 

余震への不安が消えない中、降り出した無情の雨。「地盤の緩みが心配」。極度の緊張から被災者は不安を募らせた。  

 

【熊本地震】就寝中に倒壊家屋の下敷き…高齢者中心に犠牲 「孫が生きがい」「地域の“母”」 

 

16日午前1時25分。地鳴りのような音が鳴り、1階の寝室で床についていた冨岡王将(おうしょう)さん(84)=熊本県嘉島町鯰=の自宅を、激しい揺れが襲った。天井が崩れ、瞬く間に1階は押し潰された。

 

一緒に寝ていた妻のシノブさん(78)は、はりが引っかかってできた50センチほどの空間に救われたが、冨岡さんの体にはたんすがのしかかり、手の施しようがなかった。  

 

シノブさんと長男の謙蔵さん(53)夫婦、3人の孫との7人暮らし。植木職人を勤め上げ、しつけで孫をしかることもあった昔かたぎだが、毎日のように一緒に魚取りや竹トンボ作りを楽しんでいた。

 

「孫が生きがいだった。自然災害にはかなわない」。謙蔵さんは無念さを押し殺した。  

 

同県西原村布田に住む加藤ひとみさん(79)と義理の姉のカメノさん(90)も、崩落した家の犠牲になった。  

 

近所に住む加藤六女(むつめ)さん(79)は、ひとみさんについて「人あたりがよく、料理が上手」と振り返る。子供や孫と暮らしており、畑仕事や草取りを早めに済ませ、家族のために手の込んだメニューを振る舞っていた。

 

カメノさんはかつて村の小中学校で長年給食調理員として働き、子供たちから慕われていた。元村役場職員の男性は「まるで村のお母さんだった」と話した。

 

産経新聞

【熊本地震】「何げない会話が最後になるなんて」 熊本地震で友人を亡くす

九州で初めて震度7の激震が直撃し、9人が犠牲になった「熊本地震」。

 

一夜明けた15日も震源に近い熊本県益城町を中心に救助活動が続いた。懸命の救出が相次ぐ一方で、突然家族を失った住民は「信じたくない」と絶句した。熊本地方は16日夜から雨の予報で、二次災害と復旧の遅れを心配する避難所の住民は疲労の色を濃くした。

 

【熊本地震】「何げない会話が最後になるなんて」 熊本地震で友人を亡くす

 

震災で亡くなった9人は、それぞれの人生を突如奪われた。  

 

「助けて、助けて」。15日未明、益城町惣領(そうりょう)のマンション敷地から女性の声が響いた。ブロックの塀が崩れ、熊本市東区の坂本龍也さん(29)が下敷きになっていた。  

 

負傷した知人女性が助けを求めたが、救急隊はなかなか到着しない。午前2時前にレスキュー車が到着し、午前3時ごろ坂本さんを引き出したが、すでに力尽きていた。  

 

農家の三男で、親族男性によると「自分が後を継ぐような気持ちで小さいころから農業を一生懸命手伝っていた」という。  

 

別の親族の女性は「ブロックの下敷きになるなんて、さぞ苦しかっただろう」。中学時代からの友人(28)は「1週間前に会い、何げない会話を交わしたが、あれがまさか最後になるなんて」とうめいた。  

 

15日午後、同じ同町惣領の1階部分がぺしゃんこに崩れた家屋の前で、男子大学生(20)が立ち尽くしていた。

 

自宅でカラオケ教室を営んでいた祖父の荒牧不二人さん(84)はレッスン中に家屋が倒壊し、生き埋めになった。助け出された生徒の女性(62)は「『先生』と呼び続けたけれど、返事はなかった」。

 

熊本市から駆け付けた大学生は、消防団と一緒にがれきの中から荒牧さんを見つけ出した。「じいちゃん」と何度呼び掛けても反応がなかった。「いつも笑顔で病気もなくぴんとして、長生きできる人だったのに」と泣きじゃくった。  

 

「お母さん! お母さん!」。同町寺迫では14日深夜、倒壊した民家に向かって中学生ぐらいの少年が叫んでいた。母親は無事が確認されたが、祖母の富田知子さん(89)は心肺停止で見つかった。

 

次男龍夫さん(62)は「天災で人間の力ではどうにもならなかったのかとも思うけど、無念」と声を絞り出した。  

 

15日未明、同町木山で崩れ落ちた2階建て家屋前では、村上正孝さん(61)の妻が夫の名前を叫んでいた。

 

タクシー運転手の正孝さんは妻と中高生の息子2人、母親のハナエさん(94)と5人暮らし。妻と子どもたちは助かったが、正孝さんとハナエさんがいた1階部分が押しつぶされ帰らぬ人となった。

 

同町馬水の宮守陽子さん(55)も、倒壊した自宅から発見され死亡が確認された。一帯の家屋は軒並み1階部分がつぶれ、ブロック塀が剥がれ落ちるように崩れていた。

 

近所の男性(72)は「一緒に住んでいた娘さんたちが『お母さん』と必死に呼び掛けている姿がふびんでならなかった」と語った。  

 

「助けてくれ!」。同町広崎の伊藤俊明さん(61)は、自宅の下敷きになり助けを求め続けた。警察や消防ががれきを撤去し救助したときには、息絶えていた。幼なじみの広島継男さん(67)は「悲しいと言うより、悔しい」。  

 

同町安永の福本末子さん(54)も自宅が倒壊し、犠牲となった。近所の女性は「道で会うとあいさつをしてくれる気さくな人だった。本当にかわいそう」。  

 

熊本市東区の団地で見つかった松本由美子さん(68)は地震直後、近隣住民が「おばちゃん、大丈夫」と声を掛けた際には返事があった。

 

レスキュー隊が窓側から部屋に入ったが、手遅れだった。近所の女性は「明るくて優しい人だった。本当に悔しい」と声を詰まらせた。

 

西日本新聞 

【熊本地震】「我が子のような存在」南阿蘇村で学生3人死亡

16日未明に再び熊本県などを襲った大地震。学生ら向けのアパートが倒壊し、多数の土砂崩れも起こるなど大きな被害があった南阿蘇村。

 

東海大阿蘇キャンパス近くでは、アパートが少なくとも6棟倒壊し、16日未明から消防の救助隊員らが生き埋めとなった学生らを10人以上救助したが、脇志朋弥(わき・しほみ)さん(21)、清田啓介さん(18)ら学生3人の死亡が確認された。

 

【熊本地震】「我が子のような存在」南阿蘇村で学生3人死亡

 

学生11人が暮らしていた木造2階建ての「竹原アパート」では午後3時半ごろ、つぶれた1階からブルーシートに包まれた遺体が運び出された。様子を見守っていた友人らから「だめだったか」とため息が漏れた。

 

近くに住む家主の竹原めぐみさん(72)は「学生は我が子のような存在です」と涙を浮かべた。  

 

脇さんの実家がある鹿児島県南大隅町で衣料品店を営む東幸治郎さん(57)は「私の次女が地元の小中学校のバレーボール部で一緒だった。(4年生で)就職活動をしていると人づてに聞いていた。

 

もうすぐ独り立ちする前の子供を亡くした家族の気持ちを思うといたたまれない」と肩を落とした。  

 

「寝ていたら、ドーンという地面をたたくような衝撃が来た」。2階に住んでいた1年生の男子学生(18)は未明に襲った衝撃を振り返った。気づくと1階がつぶれており、窓から外に飛び降りて避難したという。

 

阿蘇キャンパスには農学部と大学院があり、大学によると、4月現在で約1000人の学生が在籍。

 

8割は自宅外から通学し、キャンパスの南側には約60棟のアパートや下宿が集中している。

 

周辺の道路は土砂崩れなどで寸断された場所もあり、わが子を捜しながら「この向こうに息子がいる」と叫ぶ保護者もいた。

 

キャンパス近くでは住宅の倒壊も相次いだ。午後2時半ごろにはがれきの中から60代の女性が助け出された。

 

「まっちゃん!」。見守っていた友人の今村百合子さん(67)が叫んだが返事はなく、両手で顔を覆って泣き崩れた。  

 

山鳴りとともに絶え間なく余震が襲う中での救助活動。「緊急地震速報。大地震です」。村の防災無線からアナウンスが流れるたびに、隊員らは捜索を中断し退避した。その様子を、今村さんはタオルで時折、涙をぬぐいながら見守った。  

 

「14日の夜とは全然違う激しい揺れだった。何でこんなことになるのか」。今村さんは疲れ切った様子で搬送されていく女性を見守った。  

 

土砂崩れが相次いだ村内では、夜に降雨が予想されているため避難指示が出た。2次災害の発生の恐れがある中、行方不明者の情報がある場所では、夜まで懸命の捜索活動が続いた。

 

毎日新聞 

【熊本地震】父「痛かったね」 娘が家屋倒壊の犠牲に

14日夜の最初の地震で最も大きな揺れを観測した熊本県益城町ではさらに被害が拡大。

 

倒壊する建物が増え、道路に大きなひびが入り、各所が通行止めになった。

 

「『夏には一緒にアイドルのコンサートに行こう』って3日前に約束したばかりだったんです」。深夜の地震が娘の命を奪い去り、母と娘のささやかな約束を踏みつぶした。

 

【熊本地震】「我が子のような存在」南阿蘇村で学生3人死亡

 

亡くなったのは、益城町の家事手伝い、河添由実さん(28)。

 

16日午前、倒壊した家屋から由実さんが運び出されると、母登志子さん(56)は泣き崩れ、父の敏明さん(61)は「痛かったね」と頭をなでた。  

一家は5人家族。14日夜の地震後は、余震による自宅の倒壊を恐れて家族全員、車中で過ごした。

 

しかし、15日は電気が通り、風呂にも入れた。由実さんは安心したのだろうか、登志子さんの「車で寝よう」との誘いを断り、自宅1階の自分のベッドを選んだ。

 

しかし、地震で家屋は倒壊し、天井が由実さんの頭を直撃。敏明さんは「まさか、あんな揺れが来るとは。まだ結婚もしていないのに」と涙をぬぐった。  

 

同町の西村正敏さん(88)と美知子さん(82)夫妻は、同居する孫の洋介さん(38)と一緒に、倒壊した自宅の下敷きに。

 

洋介さんは月明かりを頼りに何とか外に出られたが、夫妻は約6時間後に遺体で見つかった。

 

洋介さんは「『痛い、動けない』と言う祖母の姿が見えた」と話し、救出できなかった無念をかみしめた。 

 

毎日新聞

【熊本地震】息子を亡くした女性、今度は義理の娘まで帰らぬ人に・・・

震度7の揺れを観測した熊本地震で、被害が集中した熊本県益城町では倒壊した家屋の下敷きになるなどして8人が亡くなった。

 

悲しみに暮れる家族。助かった住民も壊れた自宅の片付けに追われ、先の見えない避難生活に不安を募らせた。  

 

【熊本地震】息子を亡くした女性、今度は義理の娘まで帰らぬ人に・・・

 

「仲の良い夫婦だったのに…」。

 

益城町馬水地区の宮守カズエさん(77)は、倒壊した自宅近くで親類らと涙を流した。隣接する住宅も全壊し、住んでいた義理の娘の宮守陽子さん(55)が帰らぬ人となった。  

 

カズエさんは6年ほど前、陽子さんの夫だった息子を事故で亡くした。今月下旬に法要を営む予定で、陽子さんと準備していた。  

 

「夫婦二人とも亡くなるなんて本当に悲しい」と静かに語り、崩れた自宅からタオルなどわずかな生活用品を取り出した。 

 

河北新報