【東日本大震災】「負げねぇぞ気仙沼」夫に誓った 老舗再建「のれん守る」

■京都の学生僧侶と交流  

東日本大震災で津波被害に遭った宮城県気仙沼市の鹿折(ししおり)地区で、夫と夫の両親を亡くした菅原文子(ふみこ)さん(68)が家業の老舗酒店を再建し、半年を迎えた。

地酒のラベル「負げねぇぞ気仙沼」や夫に宛てた手紙が縁となり、京都をはじめ全国の人々に支えられてここまできた。

今度は自分が地元を支える番。店舗には住民が集うミニホールを設け、コミュニティーの再生を目指している。

平成23年3月11日、津波は菅原さん夫妻が営む「すがとよ酒店」も襲った。

階段を上ろうとする夫、豊和さん=当時(62)=の手を文子さんが2階から握った瞬間、すさまじい勢いの波が豊和さんをさらった。  

屋根の上に逃れ、隣家の女性と2人で夜を明かした。

悲しい、つらい、怖い。そんな感情は、わいてこなかった。

黒い波とがれきに覆われた商店街をただ呆然(ぼうぜん)と眺め、寒さに震えながら生きることだけを考えた。  

4月には市内の別の地区にプレハブを建て、テントを張って店舗を仮設。自己流の毛筆で「負げねぇぞ気仙沼」と書き、地酒の瓶に貼って販売した。  

ラベルは復興へのシンボルとして反響を呼び、文子さんは浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)の僧侶が司会を務める京都のラジオ番組に出演。行方不明だった豊和さんに書いた手紙が和洋紙販売会社「柿本商事」(京都市)の「第2回恋文大賞」を受賞した。  

「あなたへ」と題したその手紙には、こうある。  

「何も言えずに別れてしまったから ありがとうと伝えたくて切なくて悲しくて」

「あなたが必死で守ってきた お店ののれんは私が息子達と守ります」  

復旧が進むにつれて様相を変える気仙沼市内で、仮設店舗は転々とせざるをえなかったが、文子さんは創業の地である鹿折地区での再建を誓っていた。  

豊和さんの遺体が見つかったのは24年6月。鹿折地区で最後に解体された市営アパートからだった。

偶然にもその跡地を借りることになり、昨年12月17日、常設店舗をオープンさせた。  

新築した店には、住民が集えるミニホールを設けた。仮設住宅から災害公営住宅へとバラバラに移った人々が、交流を断たれ、ゼロからコミュニティーを作り直さねばならないという現実があったからだ。  

「支援という形では長く続かない。心の復興には、人と人の交流を深めていかないと」。

これまでにピアノコンサートや落語会を開いたほか、今月2日には心のケアに当たる宗教者の専門職「臨床宗教師」を目指す龍谷大大学院の学生僧侶らに自らの体験を語った。  

「落ち込んだり、前向きになったり。あきらめかけた時期も正直あったけれど、いつまでもくすぶっていられない」  

大正8年創業のすがとよ酒店は2年後、創業100年を迎える。

来年は前年祭を開く計画だ。多くの人に支えてもらったことへの、感謝を込めて。

産経新聞

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