【東日本大震災】被災から6年 月命日、母の墓参続け 南相馬・渡辺さん「みんな幸せだよ」

【東日本大震災】被災から6年 月命日、母の墓参続け 南相馬・渡辺さん「みんな幸せだよ」

東日本大震災の津波から孫2人を守りながらも、母を失った南相馬市小高区の渡辺のり子さん(66)は「あの日」から6年が過ぎた今も、月命日前後の墓参は欠かさない。母を津波から救えなかった無念さで、自分を責める日もある。今月も母が眠る自宅近くの墓を訪ねて、「いつも見守ってくれてありがとう」と手を合わせた。

穏やかにほほ笑む母の遺影が置かれた仏壇に線香を上げ、大好物だった干し柿を供えた。孫の成長や家族の近況を報告する。渡辺さんの朝と夜の日課だ。

2011年3月11日。小1の孫を学校に車で迎えに行った時、地震に襲われ、母キクヱさん(当時82歳)と2歳7カ月の孫が待つ自宅に急いで帰った。「津波が来る。避難しろ」。パトロールで自宅に立ち寄った消防士の長男から警告された。

幼い頃、父から「地震の時は水が来る」と聞かされ、自宅近くの高台にある神社に逃げるよう言われたのを思い出した。高齢の母が寒がってはいけないと、毛布を庭に止めた車に積んだ。乗り込もうとしたとき、がれきや泥を巻き込んだ黒い水が流れ込んできた。

車で逃げるのを諦め、母たちと自宅の2階を目指した。「ひいばあちゃんがいない」。孫に言われて周囲を見たが、母はいない。庭に出て捜したものの、腰まで水が迫っていた。「ごめん。孫を守るから」。泣きながら2階に逃げた。

母は自宅から約300メートル離れた場所で見つかった。母を救えなかった無念さで、自分を責め、眠れない日々が続いた。でも孫の存在や身内の「やることはやった」という言葉に救われた。「苦しんでいるのは、私だけではない」と気づき、周囲に体験を話せるようにもなった。それでも家族には話せずにいる。

自宅は、東京電力福島第1原発の北約15キロにあり、原発事故によって避難指示区域になったことから、市外のアパートに避難した。

小高の家は生まれ育った家で、長男夫婦や孫たちと過ごした思い出が詰まっている。母の遺骨も、近くの墓にあり「お母さんを独りにはしたくない。また、置いていくようなことはできない」と帰宅への思いは募った。

そんな気持ちを察した夫栄三さん(66)は家をリフォームし、妻の背中を押した。避難指示が解除された昨年7月、夫婦で小高の自宅に戻った。

渡辺さんは、墓参りのたび、家族思いだった母に話しかける。「みんな幸せに暮らしているよ。安心してね」

毎日新聞

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