【東日本大震災】1本の遺骨、弔う兄 「疎遠だった」最期知らず

右の上腕骨、長さはおよそ20センチ。東日本大震災から6年を前に、1本の遺骨が家族の元に帰った。

ずっと行方不明だった東松島市の亀井忠司さん(当時58歳)。親兄弟と疎遠で、その最期を知る人は誰もいない。兄忠雄さん(66)は2日、遺骨を荼毘(だび)に付した。午前8時半、登米市の斎場で、忠雄さんは1人ソファに腰掛けた。

両親は既に他界。福島県に末の弟がいるが「仕事があっから」と呼ばなかった。喪服の人が行き交う中、柄が入ったシャツとグレーのジャケット姿。「骨1個だし、改まる必要もねえべ」。お供え用の菊と和菓子はスーパーで買った。

昨年11月29日、弟の自宅から約1・5キロ離れた防潮堤の工事現場で作業員が骨を見つけた。天候が荒れ、海底から打ち上げられたようだ。県警が震災遺族のDNA型を登録したデータベースと照合すると、忠雄さんや母親と特徴がほぼ一致。先月28日、巾着袋に入った遺骨を受け取った。

火葬前、忠雄さんは袋の外から指で骨をなぞった。「直接は見てねえんだ。何となく」。ひつぎはない。段ボール箱に袋を入れ、焼却台に置く。人が横たわるサイズの台の上で小さく見えた。

「疎遠だった。年取れば家族でもそうなって仕方ねえべ」。焼却を待つ忠雄さんは語り始めた。

弟は中学校を卒業後、東京に出た。町工場で働いた後、職を転々。15年前、宮城に戻り、タクシー運転手になった。プレハブ造りの家に独りで暮らし、いつの間にか携帯電話も解約していた。

震災からおよそ1カ月後、東松島に向かうと弟の家がなくなっていた。避難所や遺体安置所を回ったが「似た遺体はあっても違う。その繰り返しだった」。あれから1年、2年…。がれきはすっかり消え、道路や防潮堤の工事が進む。この6年、思い立つと海沿いを歩いた。「数カ月に1回くらいか。必死に捜したとは言えねえけどな」

唯一残った右腕の骨は50分ほどで焼き終えた。箸で持ち上げると途中で落ち、かさりと音を立てて割れた。「わりいことしたな」。その足で近くの先祖代々の墓に納骨した。大きな悲しみはない。「やっと、ほっとしたよ」と手を合わせた。

弟の遺影には13年前、父の初七日の際に撮った写真を使った。家中探して1枚だけ見つけた。久しぶりに弟の笑顔を間近で眺めた。「なんだかね。思い出らしい思い出もねえけど」。ぶっきらぼうにつぶやいた忠雄さんの顔は、少しほころんでいた。

毎日新聞

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