【東日本大震災】贈る言葉 東日本大震災6年 娘の晃子へ 一年でも長く生きる

【東日本大震災】贈る言葉 東日本大震災6年 娘の晃子へ 一年でも長く生きる 2011年3月11日 東日本大震災 地震 津波 火災 福島原発事故

岩手県陸前高田市 金沢善郎さん(86)

晃子(当時53歳)、私が仏間にめったに入らないから怒っているかい。遺影と目を合わせられないんだ。安置所を捜し回って見つけたのは津波から9日後。通夜では家族皆で布団を並べて眠ったね。それでもまだ、逝ったとは思えなかった。とうとう顔をのぞき込んだのは、葬儀で「最後のお別れです」と言われた時。あの時のつらさがよみがえるのが怖いんだ。

 

仙台市の大学に進んで、向こうで勤めたがった一人娘の君を無理に連れ戻し、陸前高田市職員の採用試験を受けさせたね。勤続三十数年、お疲れ様。この6年間、私は問い続けてきました。なぜ111人もの市職員が死なねばならなかったか。答えは出ていませんが、何か文章にしようと考えています。書けば、少しは納得できるかと思うのです。

晃子がナッツ(雌犬)を残してくれたから、毎日3キロ散歩するようになりました。お陰で健康です。再会した時に君にほめてもらえるよう、一年でも長く生きると決めて涙を拭いながら歩いています。母さん(82)は転んで足腰を痛めてね。七回忌には1人でお墓参りに行くから、待っていてな。

毎日新聞

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