【東日本大震災】思い出写真 今も捜し続ける娘の姿 福島県大熊町・木村紀夫さん

あの日から6年。東北を襲った巨大津波は多くの尊い命だけでなく、被災地に住む人々の数々の思い出の品を奪っていった。

一方で、がれきの中からはたくさんの写真も見つかった。波に洗われて色あせたり、ぼろぼろになったりしながら、持ち主の元へ戻ってきたものも少なくない。今は亡き大好きな人。思い出が詰まった写真を手に、残された人たちは何を思うのか。

                  

〈入園式の写真なんですけど、教室で遊び始めたら汐凪(ゆうな)の周りに子供が集まってきて。汐凪が「仕切って」いるように見えたんですよね。活発で人から頼られる子だった汐凪らしい写真ですね〉

津波と除染の水洗いでぼろぼろになった写真。次女、汐凪ちゃん=震災当時(7)=の幼稚園の入園式の風景を木村さんが撮影した。

福島県大熊町で妻、両親、娘2人との6人で暮らしていた。あの日の津波で父親、妻、そして汐凪ちゃんが流されたが、東京電力福島第1原発事故による避難で、震災直後は3人を捜すこともできなかった。

その後も汐凪ちゃんだけが見つからず、木村さんは避難先の長野県白馬村から毎月のように大熊町に通い続け、1人で捜し続けた。

「一生かかっても片付けられないくらいのがれきの量。『絶対見つけてやる』という気持ちにはなれなかった。でも、あそこに汐凪が1人でいるのはかわいそうで」

昨年12月、汐凪ちゃんの遺骨の一部とぬいぐるみ付きのマフラーが見つかった。震災翌年に木村さんが汐凪ちゃんの靴を見つけた場所と同じだった。

「原発事故が起きず、しっかり捜すことができれば、きれいな状態で汐凪を見つけてやることができた。あまりにもむごい。汐凪には本当に申し訳ないことをした」

がれきの中から見つかった写真は放射線量が高く、持ち帰れたのはわずかだったが、その中で入園式の写真はベストショットだ。

「汐凪は私のことを『お父さん』って呼んでいたと思うんです。でも、忘れちゃいますよ。なかなか思い出せない。表情は写真で思い出せるけど、どんなことをどんな声で言っていたか、忘れてしまいますね」

木村さんは現在も汐凪ちゃんの姿を捜し続ける。

産経新聞

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