【東日本大震災】思い出写真 「人の役に」聞こえた母の声

〈母は40代前半で、父が病気で亡くなる前後の写真かな。当時は祖母、両親、僕と弟の5人家族。家計を支えるため、働きに出ていた水産加工場の慰安旅行だと思います。母にとって一番苦しい時期ですが、私の目にはほほ笑んでいるようにしか見えません〉

本州最東端に位置する岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島で漁師をしていた千村さん。父や祖母も他界し、母の君代さん=当時(61)=と2人で暮らしていた。

あの日、千村さんは母からお願いをされた。

「ジャガイモの種を買ってきて」

母は自宅で食べる野菜を自ら栽培していた。「ジャガイモなら4月でも間に合うのに…」。首をひねりながら自宅から約25キロの市中心部にあるホームセンターへ。そこで、激しい揺れに襲われ、「黒い壁」のような津波を目撃する。

家路を急いだが、がれきに行く手を阻まれ、たどり着いたのは5日後。海から約500メートル離れた場所にあった家は跡形もなかった。

母の遺体は震災翌日に見つかったが、傷みが激しかった。身元が判明し、遺骨を手にすることができたのは3カ月余り後だった。

「あの頼み事がなかったら…。母親に助けられた」と千村さんは言う。

「人の役に立ちなさい」。あるとき、そんな母の声が聞こえた。千村さんは今、盛岡市に移り住み、市内の復興支援施設「もりおか復興支援センター」で自らと同じ被災者の相談員として働く。

母の写真は、近所の人から手渡された泥まみれの2冊のアルバムの中にあった。泥はあえて落としていない。

「震災を忘れないために」

産経新聞

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