【東日本大震災】東日本大震災4年 「そら、行くか」亡き父の言葉で前を向く

午後2時46分。被災者らは亡き人に思いをはせ、まぶたを閉じた。

東日本大震災から11日で4年。すべてが始まったその時刻には「あの日」と同じように被災地に小雪が舞った。

列島各地で行われた追悼式で、犠牲者の鎮魂と街の復興へ思いを込めた被災者たち。「一歩一歩確実に」。悲しみを思い起こしつつも、亡くなった家族との「楽しい記憶」を抱き、前を向く。

岩手県田野畑村には連日、復興の槌音が響く。同県久慈市に暮らす会社員、星真弓さん(42)の実家があった場所のすぐそばを走る三陸鉄道北リアス線は昨年4月に全線が復旧した。鳴り響く汽笛は「震災に負けないぞ!」と故郷を鼓舞するかのよう。「田野畑は必ず復活するよ」。天国の父に、そう伝えた。

「優しくて声が大きくてかっこいい父でした。大きくなっていく孫の姿をずっと見ていてほしかった」。星さんは11日、田野畑村の追悼式典で父、長尾若男さん=当時(71)=への思いを語った。

震災時、若男さんは海から200メートルほどの場所にあった自宅にいた。「逃げんべや!」。親戚の軽トラックで山の方へ上がり、さらに高台へ向かおうと山道を登ろうとしたとき、急な避難と地震津波のショックで倒れた。

呼吸が困難になる肺気腫を患っていた若男さんは、避難しようとしていた近所の人たちや郵便局員らに心臓マッサージを施されたが、息絶えた。

その夜、村の避難所に駆け付けた星さんは親戚から父が亡くなったことを伝え聞いた。震災後の混乱で、星さんが若男さんの遺体と対面できたのは1週間後のこと。「傷ひとつなく、きれいなままで、『いやいや、地震すごかったあ』と目を開けそうだった」

大切な人を失った悲しみは大きかったが、津波が迫る中、最後まで父に蘇生処置をしてくれた人たちへの感謝の方が大きかった。

マグロやイカを取る遠洋漁業船に乗っていた若男さん。星さんが物心つく前から、1年のうち10カ月近くは家を空けていた。記憶にあるのは「豪快にお酒を飲んで酔っ払っている姿」。

「久しぶりに帰ってきて顔見ると気恥ずかしくてね。また出ていくときは寂しかったな」。船が港を出るとき、紙テープを持って別れを惜しんだ。

十数年前、若男さんは遠洋漁業船を下り、近海でウニやアワビを捕っていた。久慈の内陸部に住む星さんは同居を提案したが、「海が大好きだった。絶対に海のそばを離れなかったね」

口数は多い方ではなかったが、孫と遊ぶときは別の一面を見せた。目尻が下がり、よくしゃべっていた。毎週日曜日になると、孫への土産にミニカーを携え、久慈までやってきた。

昼ご飯には決まって、孫たちを食事に連れ出した。「そら、行くか」。それが合言葉のようになっていた。

孫たちが田野畑にやってきたとき、部屋に飾られていた遠洋漁業船の模型を指さし、「じいちゃん、これさ乗ってたんだぞ」と誇らしげに話していた姿が忘れられない。

震災の半年前、若男さんは肺気腫が悪化し、医師から「今日がヤマです」と余命宣告されていた。だが、回復し再び孫に元気な姿を見せた。「そのとき、がんばったのに。悔しいね」

あれから4年。悲しみは決して消えないが、子供たちの前で落ち込んでばかりいられない。父の、あの言葉をつぶやいてみる。

「そら、行くか」。自然と前を向ける。きょうがまた、新たなスタートだ。

産経デジタル

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