【阪神淡路大震災】「亡き兄の分も生きる」消防士の萩原裕介さん

「兄ちゃん、20歳になったで。今まで以上に責任感持って頑張るから」。

神戸市須磨区の消防士、萩原裕介さん(20)は17日朝、自宅の仏壇の前で、震災の犠牲になった兄=当時(3)=に、いつものように語りかけた。「原点」という兄の死を通して命の重みを学び、2年前から消防士として人命救助の道を歩み始めている。

 

阪神・淡路大震災「1.17の記録」

(写真提供:神戸市)

 

「兄の分も、後悔しないように今を生きる」。萩原さんは物心がついたときから、いつも自分に言い聞かせてきた。

平成7年1月17日、生後3週間だった萩原さんは、母の実家にいて無事だった。しかし、同市長田区の父の実家にいた幼い兄と祖母は、つぶれた家の下敷きになり、命を落とした。

月命日の17日がくると、家族で墓参りをし、兄の誕生日には、年齢の数のろうそくをともしたケーキを囲んできた。写真立ての中で笑う幼い兄。「注射で泣かない子やった」「裕介をよくかわいがった」と両親は教えてくれた。

自身の記憶にはないが、「いつも自分の中に兄はいた」。自分のそばで見守ってくれる心強い存在だった。

両親は自ら震災当時のことをほとんど話したことはなかったが、小学生のころに2歳下の妹と聞いた母の言葉が忘れられない。

「これ以上、自分の子供が命を落とすのは嫌や。あんたらにはあんなつらい思いを絶対にしてほしくない」。母は体に触れながら泣いていた。

当時も今も消防士として活動する父。父を通じて、消防隊員の活動に心をひかれるようになった。23年3月に起こった東日本大震災でも派遣され、活動していた。父の姿にあこがれた。

「両親も多くは語らないけれど、兄の死を通して、命の重みや強く生きることを教えてくれていたと思う」

サッカーを始めたときも、高校進学のときも、消防士を志したときも、両親は自分の意志を尊重してくれた。そしていつからか、月命日には、自分の決意を兄に報告することが習慣になった。「(サッカーの)大会で優勝する」「消防士になる」

「宣言した限りは、絶対に実現せなって思えるから」

高校卒業後の25年4月に消防士になり、同10月に垂水消防署(同市垂水区)に配属された。「消防士になる」と報告したら、母は「なったらええやん」と話した。その顔は、笑っていた。今はポンプ車に乗り込み、消火活動などにあたる。まだまだ半人前だが、人を救える仕事にやりがいを感じる。

21回目の命日となったこの日、出勤前、仏壇で手を合わせた。

消防署に出勤し、ポンプ車などの車両点検を行った。火災や災害が起こっても、万全の備えで臨みたい。次の目標は救助隊員になることだ。

あの時、生まれたばかりで非力だったが今は違う。「どんな災害が起きても、次は自分が最前線で命を守っていく」。返事はないけれど、いつも兄はそばにいて見守ってくれている。そう、感じている。

産経WEST

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