【阪神淡路大震災】「俺の震災は終わらない」

次女を失った。

「相変わらず、お前は18のままなんやなあ。俺はこうしてちゃんと生きてるから、心配するな」

東遊園地を訪れた神戸市東灘区の会社員、田中武雄さん(66)は高校3年で亡くなった次女の樹里さん=当時(18)=に語りかけた。

あれから20年。「もっと生きたかったやろ」とつぶやき、涙をぬぐった。

 

阪神・淡路大震災「1.17の記録」

(写真提供:神戸市) 

 

田中さんの一日は、樹里さんが好きだったコーヒーをいれることから始まる。仏壇に供え、こちらを見つめる遺影に「樹里、あのな…」。20年間続けてきた。

自宅は全壊し、隣の部屋で寝ていた樹里さんの胸を柱が直撃した。ひつぎの中で薄化粧を施された娘は、眠っているかのようにきれいだった。

「何で近くにおったのに守ってやれんかったんや」。遺骨のひとかけらをのみ込み、一人になると大声で泣いた。

ひまわりみたいな明るい子。手がかからず、家族の中で一番のしっかりもの。最初で最後のわがままが震災の前年に言った「四年制大学に行かせてほしい」だった。「何でや、短大に行けよ」と取り合わなくても「社会の先生になりたいから、お願い」と譲らなかった。

震災後すぐ、樹里さんの志望校だった関西学院大学兵庫県西宮市)に遺影を持って訪れた。「ほら、お前が行きたかった学校やで」

樹里さんが大好きだった歌手の福山雅治さんの新曲が出るたび、CDを買って仏壇の前でかけた。祭り好きだった樹里さんのえと「辰」の絵と名前を染め上げただんじりのじゅばんを作り、それを着て担いだ。車のナンバーは、樹里さんの誕生日の「1025」。

「とにかく何かしてやりたくて。結局は自分の慰めでしかないんやけど。心の中では生きてるって思いたくて」と寂しげに笑う。

あの日から20年。娘が生きた時間より、いなくなってからの方が長くなった。口では「娘が死んだ」と言えるが、まだ受け入れられない。娘と同じ制服を着た女子生徒を見るたび「もしかして」と探してしまう。心の穴は年を経るにつれ大きくなる。

「天国で樹里に会って『助けてやれんでごめんな』って言う。それで樹里が『ええよ』って笑ってくれるまで、俺の震災は終わらないから」

産経WEST

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