【東日本大震災】「家族への叫び」と言い聞かせ

「お前たちが生まれてきてくれて本当によかった。家族が笑顔でいることが、俺の一番の幸せなのさ」。

気仙沼署の三浦海都さん(27)は震災後、父・毅さん(当時51歳)の言葉を思い出す。弟・琢都さん(23)と一緒に囲んだ男3人の酒席。毅さんは、上気した顔で照れくさそうに話していた。

震災当日、南三陸町危機管理課職員だった毅さんは、防災対策庁舎から町民に無線で避難を呼びかけ続けた。

避難を勧める同僚に「あと1回だけ」と断り、「津波が近づいています」と叫んだ。その直後、庁舎ごとのみ込まれ、行方不明になった。母のひろみさん(53)は、その声を聞きながら高台へ逃げ、助かった。

「父さんは街の一大事には真っ先に駆けつけなければならない。長男のお前が家族を守ってくれ」と聞かされて育った。

地震や火災、大雨の度に昼夜を問わず役場に向かう父の後ろ姿を目にしてきた。幼心に思ったのは、「みんなのためになる仕事はかっこいい」。毅さんにならい、海都さんも公務員になった。

2005年春、県警事務職員に採用された。そして震災から2か月後の11年5月、気仙沼署警務課に配属された。

主な業務は、震災の行方不明者の家族が自治体に死亡届を提出する際に必要な警察証明の発行。訪れる家族に事情を聴き、住所や不明者の名前を書き込んでもらう。

多い日で30人もの不明者の家族と向き合った。気持ちを整理するため、保険金を受けるためなど、事情は様々だが、大半の人は家族の死を受け入れがたい気持ちを抱え、やって来る。終始うつむき、涙を浮かべ、ペンを持つ手が震える。

「書けない」とつぶやき、15分も座り込んでしまう人、涙ながらに海都さんに胸の内を語り、「ありがとう。話ができて少し楽になった」と帰って行った人……。あいまいだった家族の死が、書類を書くことで現実になる感覚。「それが痛いほど分かる」だけに、決してせかすようなことはしない。

海都さんは昨年3月、家族で話し合い、死亡届を出し、翌月には葬儀もあげた。骨つぼには、毅さんとの共通の趣味だった釣りのリールを入れた。不本意だった。

防災対策庁舎にも花を手向けたが、「俺はそんなところにいないよ」と父が嘆いている気がして、手を合わせなかった。

警察証明を求める人は次第に減り、今では、訪れる人もほとんどいなくなった。海都さんは、毅さんの最後の行動について考え続けている。あの時の父の声は、どこかで無線を聞いているはずの家族に向けられていたのではないか。

「きっと家族の名前を直接叫んで、『逃げろ』って言いたかったんじゃないかな」。多くの人の命を救った英雄であり、家族思いでもある毅さんのためにも、「下を向いてはいられない」と自分に言い聞かせている。

読売新聞

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