【東日本大震災】流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」

【東日本大震災】流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」

大槌町本町 臼澤良一 

64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。

一度も経験したことがない、本当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。

プリンタやパソコン、本棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、本当に長いんですね。

やっと揺れが終わって、そしたらうちの妻が「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。

テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここまで来るわけがないと。落ち着け、落ち着け、といって、後片付けをしていた。テレビを直したりして。

長男も職場から走ってきて、津波だから逃げようって言われたんだけど、それに対しても「津波が来るわけないから落ち着け」って言ったんです。

そのすぐ直後に、次男の嫁さんと、当時11カ月の孫も来たんです。妻が心配して外に出た瞬間、「お父さん津波から逃げて!」って叫んだ。「タロを頼む」って。タロっていうのは、10年来苦楽を共にした柴犬なんですけど。

なーんで津波が来るのかと思って、すぐ玄関の脇の窓を開けてみたら、ちょうど駅のところから・・・JRの駅から100メートルくらいのとこにうちがあるんですが、ずーっと線路に(沿って)2階建ての家がドミノ倒しに崩れて、こっちにくるんですよ。

上のところから、もんもんと土煙が上がってる。なんで2時46分に地震があって、3時20分に家が壊れなきゃいけないのか、って、ほんとに、一瞬不思議な気持ちだった。

ふっと下を見たら、50メートル先くらいにどす黒い泥水がばーっと来てる。家が倒れたのが、ばりばりーって、こっちに向かってくる。

これはもう、あー津波だ、って思って、それから・・・タロを頼むって言われたんで、タロが2階に走って逃げたのに気付いて探したら、クローゼットの隅のところにうずくまっていた。

抱きかかえて逃げようと思ったら、階段まで泥水がばーっと上がってきて、ばりばりばりーっと。2階の廊下があっという間に泥水。しょうがないから屋根に上った。

そこから見た、その光景。大槌が、巨大な洗濯機。

ぐるぐる渦を巻いて。私の家に、流れてきた車や家がぶつかって、ギシギシ音を立てていた。もう、すんごい音。その中で、助けてくれーって言う声と、ボンベからガスが漏れるシューシューという音が。

ショートしてビーンと鳴る車のクラクション。助けてくれっていう声はするけど姿が見えない。

私みたいに逃げ遅れた人たちが、屋根の上で流されていた。その人たちが、ごろんごろん、と渦の中に落ちていくのが見えているんですよ。3時過ぎですから、西日が当たっていた。

今でも鮮明に覚えているのは、帽子を被って、青いヤッケを着て、ジーンズで、腕章した細身の人が、こっちに向かって手を振っていた。40、50メートル離れたところ。助けて、とかそんなんじゃなくて。ニコーっと笑って、お前もかぁ、って言ってるようだった。

3軒隣の家のプロパンガスが爆発して火事になって、横なぐりの風で流れてきた。すぐ火が付いた。足の下でゴトゴトと感触があって、家が動いたのが分かった。流され出した。300メートルくらい流された。

テレビを固定しているワイヤーケーブルに片手で捕まって、片手でタロを抱いたまま。

うちが燃えて、このままじゃ焼け死んでしまうと思った。ちょうど、50メートル先にコンクリ2階建ての家があって、そこに行こうと思ったんですが、障害物がいっぱいあるわけですね。丸太とかプロパンガスのボンベが流れてきたり。どうやって行ったらいいのかわからない。

そしたら、ちょうど、「ここを行け」っていう感じで、道が見えたんです。「ここをまっすぐ来なさい」という感じで。

景色が、そこだけはっきりと見えた。ほかのところがぼやけて見えない。私にはそう見えた。ここを来なさい、と言われているようだった。よく見ると、電線ケーブルが上にあった。掴んだら感電死するかもしれないと思ったけど、つかまってみたら大丈夫だったので、それを伝わって、タロを抱えながら行った。

ときどきあごの部分まで水につかりながら。靴下とジーンズとセーターの格好で。それでなんとかたどり着いて、その2階部分に降りたんですね。

 

やれやれ、と思ったところで、津波の第2波が来たんです。

じぶんの膝のあたりまで水ががーっと来たので、カラーボックスとか座布団を踏み台にして立っていた。でも、さすがに水が来たときは、あぁ、もう自分は死ぬんだ、って。他の人も俺と同じような状況になってるんだなぁ、と。観念した。あきらめっていうか。でも、止まったんですよ。

そのとき、天井を破って梁のところに行こうと思って、天井を叩いて叩いて。でも壊れるわけがない。自分のくるぶしの辺りまで水が引いたと思ったら、今度は隣のコンビニのプロパンガスが5、6本一気に爆発したんですよ。もう、熱くて熱くてしょうがない。火の粉が足元をぐるぐるとうねって、メガネが焼けてしまうと思うくらい熱かった。

隣の旅館が見えたので、ベランダを乗り越えて、浮いている家とか車の上をつたって、なんとかそこまでたどり着いた。そこから、助けてくれー助けてくれーと大きな声で叫んでいた。

そしたら、消防士の人が山道のところにいた。その人は、たまたま脚立を持って待っていてくれた。がれきを伝って、トタン屋根で足を滑らせながら、陸へ救助されてやっと助かった。

時々、タロのリードや首輪が外れて、こいつを置いていったら自分がいかに楽になるかな、と何度も何度も思ったけど、クーン、クーンと泣いている顔を見たら・・・。

ずっと苦楽を共にして、一緒に寝てたんです。ブルブル震えているのをみたら、絶対こいつも助けなければと思った。

地面に立てたのと、恐怖からの開放感で、ブルブル震えて、話すこともできない。中央公民館に行きなさいと言われたが、あまりの寒さで歩くのも嫌だった。

震えながら歩いているとき、知り合いだと思うんだけど、臼澤さん大丈夫?って言いながらタオルを首にかけてくれた。誰だったかは分からない。

家族が公民館にいるはずだと思って探した。30分探したけど、いない。ロビーで待っていたら、妻が「お父さん!タロ!」と言いながら走ってきたんですよ。涙を流しながら、私とタロを抱き締めてくれた。妻は、私が流されているのを見ていて、「お父さんは死んでしまった」と思ったらしい。

公民館は寒くて寒くてしょうがなかった。30分以内に、目の前にいた高齢者の人が2人亡くなって、ついたての方に運ばれていった。あぁ、自分も死ぬのかなと思った。保健師さんが持ってきてくれた新聞紙で身体をくるんだときの、その暖かさ。新聞紙だけでこんなにあったかいのか、と思った。

 

翌朝6時ごろ、小学校のあたりが燃えて、火が移ってきてしまったので、大カ口集会所に行った。

こんにちはーと入ると、5人が横になっていた。2、3回声を掛けても、返事がない。もしかして、と思ったら、仏さんだった。近くの土手の辺りにも仏さんが何人も流れ着いて。真っ黒な泥の中に小雪が舞っていた。

1人の人が亡くなっているのを見たら、あぁ、かわいそう、と思うけど、何十人という人をみたら、それはもう「光景」。言葉が見つからなかった。

避難所の世話役として活動したが、もう、見てられない。みんな、気持ちがおかしくなっている。

2歳の娘が、自分の手が届くところで波にさらわれて行方不明になった若い母親がいた。半狂乱になっていた。もう、抱き締めてやるしかない。いいから、みんないるから大丈夫だ、って。

避難所で、臼澤さんあなたのところはどうですか、みんな無事ですかと聞かれて、大丈夫です、あなたのところは?と聞くと、5人家族だったのが3人になってしまった、なんて言われたら・・・もう、抱き締めるしかない。

 

3月11日以降、本当にたくさんの人を抱き締めた。

9.11のテロ、阪神淡路大震災アチェ津波、四川の地震を、新聞とかテレビで見て、かわいそうだなーって思ってた。

でも俺は絶対こうならないぞって、心の中では思ってた。なんて自分は馬鹿だったんだって。もう、モノとか、そんなものじゃない。人とのつながり、これが一番だって、本当に思い知らされた。

前はモノや車がステータスだと思ってた。でも、多くの人が苦しんでるのを見たとき、人とのつながりは努力したってお金じゃ買えないんだって思った。

3月11日の津波で、価値観が全く変わっちまった。

<取材を終えて> 「自分は神仏に生かされたと思っている」と臼澤さん。話せることはすべて伝えたいと、雪が舞う町のあちこちを案内しながら当時の状況を説明してくれた。

「あのとき、私さえ助かればいいと思っていたのかも知れない」と、自身を責めていた。震災を生き延びた自分がいる一方で、亡くなっていった多くの人たちを思うと「本当に、居ても立ってもいられない気持ちなんです」。

津波に流されながら笑顔で手を振っていた人の顔は、今でも鮮明に思い出せるという。

大槌みらい新聞

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