【東日本大震災】4人家族、絆強く 祖母助けに戻り被災
■南相馬市原町区下渋佐 矢野馬 光男さん(54) トヨ子さん(54) 宏さん(29) カツエさん(79)
矢野馬(やのま)さん方は4人暮らしで、光男さんは産業支援などに取り組む「ゆめサポート南相馬」に勤務する傍ら、自宅で野菜やコメを作っていた。
妻トヨ子さんはキノコ販売店にパートで勤め、光男さんの農業の仕事も手伝った。長男宏さんは機械製造の仕事に携わっていた。カツエさんは農業をしながら一男二女を育てた。全員が大津波に巻き込まれ、命を落とした。
震災の日、光男さん、トヨ子さん、宏さんはそれぞれ自宅から20分ほど離れた職場で働いていた。カツエさんは1人で留守番をしていた。
午後2時46分、激しい揺れがトヨ子さんの職場を襲った。トヨ子さんはしばらく職場で待機し、自宅が心配な人に帰宅許可が出ると、自家用車で自宅へ急いだ。
自宅近くのアパートに長女万貴(まき)さん(29)が夫善真さん(26)、長男海聖(かいと)ちゃん(3つ)と3人で暮らしていた。
保育園に通う海聖ちゃんの送り迎えはトヨ子さんが担当していた。トヨ子さんは自宅に向かう途中、万貴さんの仕事場に立ち寄り、声を掛けた。
「きょうは、あんたが保育園に海聖を迎えに行ってね。私は、ばあちゃん(カツエさん)を見に行くから」。トヨ子さんが万貴さんと交わした最後の言葉だった。
万貴さんの仕事場にも津波が押し寄せたが、万貴さんは何とか逃げ切った。海聖ちゃんと善真さんも無事だった。しかし、津波は実家周辺まで到達し、家は押し流され、4人の姿はどこにもなかった。
「みんなどこかに逃げているはず」。万貴さんは避難所を何カ所も訪ね歩いた。2日後、カツエさんが自宅から1.5キロほど離れた所で、2週間後には自宅近くに流されていた車の中でトヨ子さんが遺体で見つかった。
その後、光男さん、宏さんが自宅周辺で発見された。
光男さんと宏さんはトヨ子さんと同様、自宅に1人残っていたカツエさんのことが心配で戻ったとみられる。「みんな、同じことを考えていた」。
万貴さんは家族の強い絆を感じ、心が震えた。
万貴さんは結婚後、姓が「朝川」に変わった。夫と話し合い、今年2月、「矢野馬」にした。4人が生きた証しを残すためにも、矢野馬家を絶やしてはならないとの思いからだった。
みんなと一緒にいられるよう、5月に墓の近くに家を購入した。冬には2人目の子どもが誕生する。「矢野馬家の新しい歴史をつくっていくよ」。万貴さんは膨らんだおなかにそっと手を当てながら、4人の遺影に語り掛けた。
福島日報