【東日本大震災】若武者野馬追誇り 「蒔田の旗印守らねば」

南相馬市小高区 蒔田匠馬さん=当時20=

いつもの穏やかな表情だった。ふっと目を開けるような気がする。

昨年3月25日夜、南相馬市原町区の遺体安置所。同市小高区岡田、蒔田匠馬(まきた・しょうま)さんが静かに眠っていた。同日午前9時42分、原町区萱浜で散乱した流木の陰からあおむけになった状態で発見された。

遺品の腕時計。父保夫さん(43)が匠馬さんの成人と就職を祝い贈った。「寒かったろう」「寂しかったろう」。込み上げる思いとは裏腹に声は出ない。匠馬さんと共に波にのまれながら時を刻み続ける腕時計に無常を感じ、保夫さんの頬を涙が伝った。

東京電力福島第一原発事故による屋内退避指示で、事故直後は原町区を含む30キロ圏内の行方不明者捜索が中断された。息子の捜索を諦め、東京に一時避難した自分を今も責める。「許してくれ」

毎年7月、原町区の雲雀ケ原祭場地には甲冑(かっちゅう)で身を固め、馬にまたがる匠馬さんの姿があった。馬との出会いは2歳のとき、保夫さんが出場した相馬野馬追だった。蒔田家は相馬藩の藩士葛尾村に居を構え、代々伝わる旗印も残っている。

平成2年7月22日、匠馬さんは、その蒔田家の長男として生まれた。「匠」の文字には何か1つでも特技を身に付けてほしいとの願いが込められた。

小学校低学年から地元の乗馬スポ少に入り、腕を上げた。小学6年で小高郷の侍となった。騎馬武者行列で伝令役となる御使番を2度務めた他、甲冑競馬や神旗争奪戦、野馬懸に参加した。

小高工高を卒業する前、匠馬さんが言った言葉を保夫さんは今でもはっきりと覚えている。「(これからも)野馬追に出なきゃならないんだべ」。「武家」の長男としての自覚の現れだった。しかし、その雄姿が雲雀ケ原を駆け抜けることは、もうない。

優しい性格で車の免許を取ると、小高区角部内に住む祖母の買い物を進んで手伝った。震災当日も気遣ったのは沿岸部に住む祖父母だった。在学していたテクノアカデミー浜から真っ先に向かった。「心配だ」。同級生にそう告げ、海岸近くを走る浜街道を南下し、津波に襲われた。

昨年は規模を縮小した相馬野馬追。今年、通常開催を目指す。

震災前まで19年連続で出場してきた保夫さんは、息子との思い出が詰まった野馬追の時期が近づいても、気持ちの整理がつかない。長男の死と震災に踏ん切りがついた時、再び出陣しよう。

「祖先が残した、匠馬が背負った蒔田の旗印を守っていかなければならない」。まだ野馬追出場経験のない次男健二さん(20)と三男武士さん(16)が決意する、その時までは。 

福島民報

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