【東日本大震災】母の日 仏壇に花 「育ててくれてありがとう」

■新地町谷地小屋釣師 伊藤るみ子さん=当時51=

新地町の仮設住宅。13日の「母の日」を前に、看護師伊藤るみ子さんの仏壇に、次女の恵さん(29)がそっとカーネーションを供えた。

「お母さんがいなければ今の私はいない。本当に、育ててくれてありがとう」。震災前にはなかなか口に出すことができなかった感謝の言葉。今では天国にいる母親に素直に言える。

昨年3月11日、地震発生後、るみ子さんと夫の裕治さん(54)は、上着を取りに自宅に戻った。家を出ると、目の前に津波が押し寄せていた。2人は手をつなぎ走って逃げたが、バリバリと家をなぎ倒す濁流にのまれた。

押し流され、引き離されながら、がれきにつかまる。水の勢いが収まり始め、裕治さんはるみ子さんに叫んだ。「もう少しだ。頑張れ、頑張れ」。うなずいたように見えた。おびえた目に視線を合わせ、悪夢が去るよう、強く念じた。

その直後、再び壁のような津波が2人をのみこんだ。荒波にもまれ、上も下も分からない。息が続かない。死を予感した。

もがき苦しみ、何とか海面に顔を出した。一面のがれきと真っ黒な海面が広がっていた。るみ子さんの姿はどこにもなかった。

裕治さんは避難所になった新地町役場で一晩を過ごした。すぐにでも捜しに行きたかったが、暗闇に誰も近づくことができなかった。夜明けとともに、るみ子さんを捜しに出た。陸地に残った海水は白く凍っていた。

「駄目かもしれない」。心が折れそうになりながらも、がれきとヘドロの中を捜しまわった。

6日目に消防団員が見つけた。津波に見舞われた場所から300メートルほど離れたがれきの中だった。遺体安置所に変わり果てた姿で横たわっていた。「寒かったべ、苦しかったべ…。ごめんな」。助けられなかった悔しさ、ふがいなさに今も胸が締め付けられる。

いつも裕治さん、三姉妹の長女の歩さん(30)、次女の恵さん、三女の寺内香さん(26)のことを優先し、自分の欲しいものも買おうとしなかったるみ子さん。

香さんに子どもが生まれると、るみ子さんは初孫の那奈ちゃん(7つ)をかわいがった。会話はいつも孫の話ばかりで、那奈ちゃんの小学校入学を誰よりも楽しみにしていた。今春、那奈ちゃんは小学生になった。

歩さん、恵さん、香さんは独立して別に暮らすようになってからも「せめて母の日ぐらいは」と、毎年、カーネーションやプレゼントを贈っていた。仏壇には、るみ子さんの遺影とともに、平成20年に北海道の小樽を家族で旅した写真が飾ってある。

その中で笑顔を見せる亡き母のため、昨年の「母の日」も3人はプレゼントを供えた。

「いろいろ心配かけて泣かせたこともあったけど、もう心配しないでね、私もお母さんのような家族思いの人になるから」。恵さんは仏壇のカーネーションに誓った。 

福島民報

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