【東日本大震災】夢は母のような美容師

夢は美容師。店を持つこと。  

そこを人が出会ってにぎわう場にしたい。そう、母と祖母が切り盛りしていた美容院のように。

東日本大震災による津波で母、祖母、2人の兄、そして多くの友人を失った岩手県陸前高田市出身の平坂保美さん(松風塾高校2年)。  

あれから1年余りが過ぎた。「生きることを大切にしたい。亡くなった人の分まで」の思いは募る。針路は決まっている。4月、目標に向かって、高校生活最後の年のスタートを切る。  

この1年は夢中で過ごした。  

昨年7月の本紙取材で震災直後、自分がマネジャーを務める野球部の仲間からの手紙に勇気づけられた-と打ち明けた保美さん。1年が過ぎ、再び手紙をもらった。2年生部員4人からだった。  

「悩みがあったら、俺たちを頼れ」 1年前は涙があふれた。でも今度は泣かなかった。少したくましくなったと思う。  

自分が一人ではないことをあらためて知った。つながっている、支えられている、と。  

主将の中村淳生君は「うちは(選手もマネジャーも)みんなで野球をする」と”一心同体“のチームカラーを強調する。  

自分の将来は小学生のころから決めている。母のような美容師になりたい。以前よりその思いは強まっている。  

古里のJR陸前高田駅を降り、駅前通りを直進する。約250メートル、5分も歩くと右手に「ビューティーハウスヒラサカ」があった。  

店を開いたのは曽祖母。津波で亡くなった祖母・悦子さん=享年73歳、母・芳子さん=同55歳=と3代続く老舗だった。  

業種を問わず、駅前で最も古い店の一つと、保美さんは聞いていた。美容院は繁盛した。「おしゃべりだけの人もいて社交場のようだった。(髪を切るのと)どっちが商売だったのか分からなかった」と保美さんは笑う。  

2011年3月11日。古里は一変した。  

震災数日後、東京の会社に勤める父・博保さん(49)と深夜バスで陸前高田に戻った。店がない。家がない。2キロほど離れていた二つの建物は、どちらも津波にさらわれ、コンクリートの土台しか残っていなかった。  

生きていると信じていた祖母、母、2人の兄との再会はかなわなかった。  
「震災は忘れたいけど、忘れちゃいけない」。保美さんは亡くなった家族4人のことを日々思い出す。  

でも「今があるから、生きているということを大切にしたい。家族4人の分、亡くなった同級生の分も生きなくてはいけない」。気持ちは前に向かっている。  

美容院に来るお客さんの前では疲れた様子を見せず、笑顔を絶やさない頑張り屋の母が好きだった。「立ちっぱなしであんまり勧められない」と言っていた芳子さんも、保美さんが美容師になることに反対はしなかった。  
高校1年の時、進学を希望する東京の理美容専門学校のパンフレットを見せた。「ここよ」。芳子さんが驚いた。偶然にも母校だった。「やっぱり親子なんだ」と思った。  

寮では、頭髪や服装チェックの前に、同級生らが整髪を依頼してくる。

「髪を切るのは楽しい。ありがとうと言われるのがうれしい」と屈託がない。祖母や母から教わった技。「もう少し聞いておけば」との思いもある。  

将来は東京に店を持つことが夢だ。小さくてもいい。やっぱり人が集まる店がいい。笑顔の多い店がいい。

 東奥日報

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