【東日本大震災】優しさあふれた厳父 自慢のたくあんもう二度と

いわき市岩間 小野静一さん=当時73=

いわき市岩間町津波の犠牲になり火葬された小野静一さんのひつぎには砂が高温で溶けたようなどろりとしたガラス状の痕跡が残っていた。

長男浩さん(44)は父の最期を思うと、今も悔しさが込み上げる。「海水と一緒に砂が胃にも肺にも入ったのだろう。さぞ苦しかったろうなあ…」

静一さんは農家の跡取りとして先祖からの田畑を耕し、軽トラックで野菜の行商も行っていた。温厚で明るい人柄の静一さんを待つ人は多く、特に人気だったのが、長年研究した独自の方法で漬け込んだ「たくあん漬け」。毎年12月になると妻富子さん(69)とたる詰めに追われていた。

「もう、あのたくあんは味わえないんだね」。悼む声に、浩さんは目を伏せてうなずくしかなかった。「おやじは頑固だったから、塩加減や漬け方など詳しいことは母にも教えていなかった。

コメや野菜も肥料や消毒の方法を一人で試していたようだ」。浩さんの脳裏から農作業で日焼けした静一さんの顔が消えることはない。

静一さんが農作物以上に愛情を注いだのが浩さんと長女靖子さん(41)。特に高校卒業後に東京の専門学校に進み、都内でバンド活動を始めた浩さんのことを気に掛けていた。

25年ほど前、突然、アパートに静一さんが尋ねてきた。「元気か」「うん」。そんな会話の後、浩さんが用事で数十分、外出した。

当時、浩さんはプロとして活動していた。しかし、公演のチケットは友人や知人に買ってもらうのが当たり前だった。浩さんも1枚2000円ほどのチケットを大量に売らなければならなかった。

浩さんが戻ると静一さんの姿はなかった。テーブルの上にチケット10枚分の現金が置いてあった。部屋にあったチケットの束が目に入ったのだろう。無言の激励に胸が熱くなった。「おやじ。ありがとう」

海面と、ほぼ同じ高さの土地に住宅が立ち並んでいた岩間町。防波堤の高さは1.5メートル程度しかなく、昨年3月11日、津波で大半が決壊した。

その日、静一さんは近所の男性と共に隣に住む高齢女性を避難させようとしている最中に津波にのまれたという。静一さんを知る別の男性(68)は「消防団経験が長かったから『助けなければ』と無意識に体が動いたのでは」と推察する。

浩さんは現在、市内のアパートに富子さんと暮らす。「無防備だった。せめて防波堤が補強されていれば、おやじは助かったかも…」。遺影に手を合わせる度、やりきれぬ思いが心を埋め尽くす。 

福島民報

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