【東日本大震災】情厚く、友に愛され 「何気ない話をしたい」

【東日本大震災】情厚く、友に愛され 「何気ない話をしたい」

南相馬市鹿島区 中川康弘さん=当時63=  

南相馬市鹿島区仮設住宅。電気ポットの湯が沸く音がかすかに聞こえる。壁のボードには仕事や登山、ボウリングなどのスナップ写真-。同区烏崎の元南相馬市副市長中川康弘さんの笑顔が並ぶ。

妻惠美子さん(64)と4年ほど前、パスポートを取得した。10年間有効なパスポートだったが、1度も使うことはなかった。これから2人で、たくさんの思い出をつくり、ボードにはもっとたくさんの写真が並ぶはずだった。

昨年3月11日、自宅で東日本大震災に見舞われた直後、津波を警戒して沿岸部に向かった。「ちょっと見てくる。まだ(逃げ遅れている人が)いるかもしれない」。近所の人に告げた。それが最後の姿だった。

南相馬市(旧鹿島町)生まれ。相馬高を卒業し、昭和41年に旧原町市役所に入った。同市総務企画部長、南相馬市総務部長などを歴任し、平成22年に退職した。

一男二女に恵まれた。「子煩悩」。3人が社会人になった後も変わらず、常に気に掛けていた。「元気か?風邪引くなよ」。東京で暮らす娘に日々の出来事などをメールで送る。同居していた息子とは晩酌し、休日は息子の友人も誘ってゴルフを楽しんだ。

「人生を後悔したくない」。友人の1人は中川さんの口癖を思い起こす。退職後は庭木の剪定(せんてい)、アユ釣り、キノコ採りなど四季を通して、地域の山々や海沿いを歩き趣味を楽しんでいた。

少年時代から続けていた野球では、旧原町市役所チームの監督も務めた。感情を表に出す豪放な性格は多くの人に愛され、毎晩のように友人を招いて酒を酌み交わした。自然と周りには人々が集い、そこには笑顔があった。

行方不明になって1カ月が経とうとする昨年4月。東京電力福島第一原発事故を受けて新潟県に避難していた惠美子さんの元に遺体発見の知らせがあった。

海に面した自宅から200メートルほど内陸に入った住宅跡でがれきの中から発見された。惠美子さんが最後に見たジャンパー姿のままだった。手首には娘がプレゼントしたブレスレットがしっかりと巻かれていた。

「人が大好きだったから、たくさんの友達がいたのかもね」。惠美子さんは1枚の写真を手に取り、友人とキノコ採りを楽しむ夫の得意気な表情に、ほほ笑んだ。「何気ない話をしたい。そんな時、そばに夫がいない現実を実感してしまう」 

福島民報

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