【東日本大震災】温厚な棋界の裏方 天から県本因坊戦見守って

 ■南相馬市鹿島区 阿部友宏さん=当時56=

囲碁をたしなみ腕に覚えのあるアマチュア有段者なら誰でも出場を夢見る県本因坊戦。昨年の第59回は東日本大震災翌日の3月12、13の両日、福島市飯坂町で開催予定だった。

3年ぶり3回目の出場を翌日に控え南相馬市の阿部友宏(ゆうこう)さん=当時(56)=は同市鹿島区烏崎の烏崎海水浴場近くの実家で母スミイさん=当時(80)=、兄義重さん=当時(63)=、親戚の太田キミイさん=当時(70)=と共に津波にのまれ、生涯を閉じた。

原町高から進学した東京理科大在学中に囲碁に出会った。仙台市で就職してからは時間さえあれば盤の前に座った。「大勢の人に楽しさを伝えたい」。仙台市内で囲碁関係団体の事務局を務め、10年ほど前に帰郷してからも日本棋院相双支部で事務方として支部運営を支えた。

3年前に同支部の幹事長、県囲碁連盟常任幹事に就任。体重90キロを超えるごつい体に相反して、元来が”こまめ”な性格。こつこつと盤駒や時計など大会の準備、資料作り、懇親会の設営など何でも引き受けた。相双支部、そして県棋界にはなくてはならない存在となった。

「地を取るのがうまく、地合良しと判断したら守るという基本に忠実な囲碁。大局観に優れていた」と語るのは同支部長の田中達郎さん(79)。毎週のように対局していたが、昨年の県本因坊戦相双地区予選準決勝が最後の対局となった。「5年ぶりに(阿部さんに)負けました。県大会出場が決まって大喜びしていたのに…」

毎年11月末には福島市飯坂町で民報杯名人戦が開かれ、そこには大会を仕切っている阿部さんの姿があった。碁盤をそろえ、対戦表を書き上げた。

震災翌日、遺体は実家から約800メートル離れた内陸で見つかり、13日に姉の佐藤敬子さん(61)=南相馬市原町区国見町=が確認した。

告別式は8月6日に行われ、親子3人を弔った。「とっくりを片付けながら、おちょこでくいっと酒を空ける、憎めない姿をもう見ることはできない。あの姿が大会後の懇親会には欠かせない」。多くの碁友が後進の育成など志半ばで去った同好の士をしのぶ。

阿部さんは津波の被害がなかった同市鹿島区のアパートに1人暮らしだった。「なぜあの日、実家に行っていたの…。本因坊戦で頑張ることを母に伝えていたの…」。敬子さんの心には、温厚な在りし日の弟が今も鮮明によみがえる。

今年の県本因坊戦は3、4の両日、福島市飯坂町で開かれる。「天国から阿部さんが戦いぶりを見守ってくれている」。県内各地区の予選を勝ち抜いた選手が、追悼の石を重ねる。

福島民報

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