【東日本大震災】命懸けで水門管理 「自分より人を思いやる」

【東日本大震災】命懸けで水門管理 「自分より人を思いやる」

浪江町棚塩 鈴木謙太郎さん=当時64=

海面とほぼ同じ高さにある福島県浪江町棚塩地区。農地は度々、高潮の被害に遭ってきた。海とつながる水路には、海水が逆流しあふれるのを防ぐ水門が建設された。

自宅が海から500メートルほど離れた場所にある花木生産業鈴木謙太郎さん=当時(64)=は町から水門管理を委託されていた。水門を閉めることが地域の農業を守ることだった。豪雨の時には危険を顧みず、水門を操作した。

昨年3月11日。大津波が迫る中、妻三代子さん(57)、母竹子さん(83)を連れて高台に避難し、再び水門に向かう。引き止める家族の言葉には耳を貸さなかった。「水門を閉めなければいけない。それが、おれの役目だ」

農家の長男として生まれた。小高農高を卒業後、家業を継いで45年余が過ぎる。浜風とともに届く土の香り、天気のいい日に愛犬マリと歩いた田園地帯…。生まれ育った古里が大好きだった。

シイタケ栽培が中国産に押され、収入は右肩下がりになった。15年ほど前から花木栽培に挑戦した。

気の合った地域の農家八人と「棚塩花木生産組合」を設立し、代表に就いた。パンジーやヒバの栽培に情熱を注ぎ、最近は全国から注文が寄せられるようになった。

自宅に組合の仲間らを招き、よく酒宴を開いた。料理が得意で、友人の漁師からもらったアイナメやタコをさばいて振る舞った。酒席でけんかが始まると、いつも仲裁役。その場は自然と和んだ。

東日本大震災から一カ月余が過ぎた昨年4月20日、鈴木さんの遺体は自衛隊によって発見された。水田に打ち上げられた大量のがれきの下に眠っていた。津波から農地を守ろうと命を懸け、荒波にのみこまれた。

昨年5月4日、家族の避難先の二本松市で行われた告別式には約200人が参列した。「われわれにとって、なくてはならない人を失った」。

弔辞を読む同級生の声が震えた。「自分のことより、人のことを思いやる優しさがあった」。多くの仲間が訃報を悲しんだ。

家族は3月12日の早朝から東京電力福島第一原発事故により避難を余儀なくされた。竹子さんは水門に向かう息子を止められなかった自分を責め続けた。

震災から間もなく1年。竹子さんの心境に変化が生まれた。

「最後の最後まで謙太郎らしかった。責任感の強い息子だったから」。水門はしっかりと閉じられていたと信じる。「大地震のときは決して海に近づいてはいけない。この教訓は後世に残していかないといけないね」。

竹子さんは腰を落ち着けた福島市仮設住宅で遺影にそっと語りかけた。 

福島民報

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