【東日本大震災】安易な復興ムードに警鐘 精神科医の野田氏

被災者支援について調査・提言している関西学院大学教授で精神科医の野田正彰さん(67)野田さんは山元町立坂元中学校の避難所を訪ねた。

「家族全員が見つかるまでは」と震災後ひげをそっていない男性がいた。目黒裕一さん(36)。

両親、祖母、姉の5人家族だったが、4人の行方が分からない。「避難所にいれば、いつかみんなが顔を出すんじゃないかって。甘い考えだったかな。携帯もメールもつながらないんです」。

今月上旬、姉ゆかりさん(39)に目元が似た遺体の写真を見つけた。DNA鑑定の結果を待っている。

「家族が夢に出てこない。俺って冷たい人間なんですか」。そう尋ねた目黒さんに野田さんは「そんなことはない。家族もあなたのことを思って流されたはずだよ」。目黒さんは「それならやっぱり俺が早く見つけてあげたい」とつぶやいた。

仙台市の南隣、名取市閖上(ゆりあげ)地区。「あれは、妻が育ててたんだ」。汚泥をかぶったビニールハウスを指して、荒川勝彦さん(63)は野田さんに言った。中に、ピンクや白のカーネーションが、枯れずに残っていた。

妻八千代さん(58)はあの日、ハウスにいた。近所の人の話では地震後、自宅にいた三男孝行さん(27)を迎えに車で自宅に戻り、一時公民館に避難。更に約500メートル離れた中学校に向かう途中、津波にのまれた。孝行さんは遺体で見つかったが、八千代さんは見つかっていない。

自宅から公民館まで、野田さんは荒川さんと八千代さんの話をしながら歩く。「なかなか気持ちの整理がつかなくて……」。

そう話す荒川さんに、野田さんは「奥さんが生きた記憶を忘れずに生きていくんだよ。奥さんの生前の姿を一番伝えられるのはあなたなんだから」と声をかけた。

八千代さんの足取りを荒川さんに追体験してもらうことで、少しでも心の整理をしてもらおうと、野田さんは考えた。

野田さんによると、遺族は被災直後、家族を失った現実をなかなか受け入れられない。遺体が見つかり数カ月が過ぎたころ、喪失感に襲われる人もいるという。そんな時「遺族に寄り添って、悲しみを共有してあげることが大切」という。

野田さんは「遺族ほど悲しみや苦しみに耐え、頑張っている存在はいない。周囲が死を見ないようにして『頑張ろう』と復興ばかり強調すれば遺族は『放っておかれている』と思う。

喪失感は増し、最悪自殺という手段を選択させてしまう」と遺族の孤立化を危惧している。 

毎日新聞

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