【東日本大震災】どこにいるの僕の家族…小3、カード手に避難所回り

約2千人が避難している宮城県石巻市中心部の市立門脇中学校で15日、段ボールに白い紙を貼り、黒い文字でこう書いたカードを掲げた男の子がいた。  

あいさわ かずゆき  
のり子  
京子  
しま ゆうと  
ゆうな  

石巻市立釜小学校3年の相沢寿仁(としひと)君(9)だ。

父親と母親、祖母、いとこ2人の名前を大人に書いてもらって、自分でなぞった。あの日、一緒にいたが、大津波で離ればなれになった。  

避難所を回り、被災者の間を縫うように歩く。近くの石巻中学校や石巻高校にも足を向けた。門脇中学校に来るのは、この日で4回目だ。

おばあさんたちから肩をたたかれ、お菓子を握らされる。でも手がかりは見つからない。  

まだ小学生だから、避難所全体に拡声機で呼びかけてもらう勇気はない。
記者が仲介し、家族の名を読み上げてもらったが、誰も来なかった。  

「家族みんなで逃げるぞ」。11日、地震が起きた直後に、父親が軽自動車で小学校まで迎えに来てくれた。

家族4人といとこ2人が乗り込み、市中心部の小高い丘の上に立つ門脇中学校を目指して、港沿いの県道を車で突っ走った。  

津波が来てる、左に左にっ」。ハンドルを切るように促す、お母さんの大きな声が聞こえた。右側から、車よりもずっと高い波が来ているように寿仁君には見えた。津波から逃げるように左側に進んだが、駐車場で行き止まりになった。その瞬間、車が海水にのみ込まれた。  

何かわからないが、いろんなものが車に当たり、窓に少しだけヒビが入った。両手にけがをしながらも、寿仁君は必死に窓を割って壊し、隣に座っていた中学1年のいとこ、ゆうと君と手をつないで窓の外に脱出した。  

しかし、「木かなんかが流れてきて、手を離しちゃった」。「としくん、としくん」と叫ぶゆうと君の声と、「助けて、助けて」というおばあちゃんの声が、次第に遠ざかっていった。  

その後のことは、気を失って覚えていない。

30分ほどたって目を覚ましたら、服の一部が竹の枝に引っかかり、廃材の上に寝ていた。近くの男性に助けられ、びしょぬれの服を着替えさせてもらった。  

そこに、顔見知りの理美容店主、北原満成さん(64)がたまたま通りかかり、家に引き取られた。  

「あまり心配するな。何度も言ってるだろ。早く家に帰ってくるんだぞ」。そう、満成さんは気遣う。「うん、そうする。心配しない」。寿仁君は気丈に答えるが、不安そうな表情は隠せない。  

市中心部は、いまだに水没している地域が少なくない。「道路が通れるようになったら、家を見に行く」。そう、寿仁君はきっぱりと言った。  

被災者たちが伝言板に使っているホワイトボードには、彼の字のメモが貼ってあった。「明日もくるからね 寿仁」  

その後、しまゆうと(島勇人)君のみ生存が確認された。

朝日デジタル

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