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【震災の記憶】阪神淡路・東日本大震災

死者の数だけ語り継ぐ物語がある。無念にも逝った犠牲者達の最期の姿。時が経ち、風化されぬよう、記憶や悲しみを後世に伝いていきたい。※尚記事は発掘し次第、メディアに掲載された当時の日付で更新しています。

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イタリア・アマトリーチェ地震 9歳少女、幼い妹をかばい犠牲に

イタリア中部地震

イタリア中部地震の犠牲者を悼み、アスコリ・ピチェーノで2016年8月27日に行われた国葬で、生死を分けた幼い姉妹の運命が教会の司教によって紹介され、参列者らは深い悲しみに包まれた。   

 

AP通信などによると、九歳のジュリア・リナルドちゃんと、妹ジョルジャちゃんの姉妹は二十四日の地震に巻き込まれ、がれきの下敷きとなった。

 

救助隊員が姉妹を救出したのは十五時間後。

 

ジュリアちゃんは妹をかばうようにしっかりと抱きしめながら、すでに息を引き取っていた。  

 

妹ジョルジャちゃんは一命を取り留め、二十七日に四歳になった。

 

二人を助け出した救助隊員はイタリア紙に対し、ジョルジャちゃんは、姉のつくった空間のおかげで息をすることができたのではと話した。ただ、今もショックで話ができないという。  

 

ジュリアちゃんは小さなひつぎに納められ、国葬の会場となった体育館に安置された。  

 

救助隊員の一人はひつぎに手紙を添え、無念をにじませた。

 

「到着が遅くなったことを許してほしい。できる限りの手は尽くしたことは分かってください」 

 

東京新聞

がれきの下から周り励ます「みんなも頑張らなんよ」

熊本地震

熊本県南阿蘇村で倒壊した自宅の下敷きになった後、搬送先の宮崎県内の病院で死亡し、同村が23日に災害関連死と認定した藤本ヤス子さん(69)。

「私は大丈夫。みんなも頑張らなんよ」。

がれきの中で助けを待つ間も、救い出されて住民の軽トラックで病院に運ばれる時も、声をふりしぼって近隣の被災者や周りの人々を励まし続けていた。  

藤本さんは16日未明の大地震で、自宅1階の梁(はり)に押しつぶされ、左脚を骨折した。

暗闇の中、懐中電灯のわずかな明かりを頼りに、約10人の住民が1時間ほどかけて藤本さんの体を引きずり出した。だが119番がつながらず、藤本さんは軽トラックで病院へ運ばれた。  

19日に脚を手術する直前にも、藤本さんは電話で近所の女性に「私も頑張る。あなたも頑張って」と伝えた。

その後、容体が急変。21日、帰らぬ人となった。  

親戚の渡辺正文さん(61)によると、藤本さんは近くのゴルフ場でキャディーを長年務めた。地域の盛り上げ役で、手作りの梅干しを具材にしたおにぎりを近所に振る舞うなどしていた。  

“気配り上手なあねご”の死に、渡辺さんは「自分のことは後回し。周りの人を優先する優しい人だった」と肩を落とした。

 

(共同) 

夫婦同じベッド分かれた生死、夫に「助かってごめん」…暗闇の中「頑張らにゃならんばい」励まし続け 2回目震度7

熊本地震

目の前で励まし続けたのに、夫の呼吸は少しずつ弱まっていった-。

 

16日未明、2回目の震度7の激しい揺れに襲われた熊本県益城町。夫婦が寝ていたベッドはがれきの下敷きになり、妻の内村ミツエさん(79)だけが一命を取り留めた。

「助かって、ごめんなあ」。すぐ横にいながら運命は分かれた。あの日から5日。自分を責めずにはいられない。  

 

16日午前1時25分、突き上げるような縦揺れとともに、多くの家屋が倒壊した益城町平田。自宅で就寝中だったミツエさんは、天井が崩れ落ち、落下物が頭に当たって目が覚めた。

真っ暗で何も見えず、がれきの間に挟まれ、ほぼ全身の身動きが取れない。  

「父ちゃん、大丈夫なぁ?」。

数時間前まで一緒にテレビを見て、同じダブルベッドで眠る夫の宗春さん(83)のことがすぐに気になり、呼び掛けた。

そばで返事は聞こえたが、様子がおかしい。真上から大きな梁が直撃し、重いけがを負っているようだった。  

 

2人が生き埋めになっていることに気付き、隣に住む孫娘の愛美さん(24)は慌てて119番した。

何度もかけるが、なかなかつながらない。がれきの中からは耳慣れた宗春さんの声。「もうすぐ助かるけんね」と呼び掛けた。ようやく救急隊が到着し、祈るような思いで救出作業を見守った。

「頑張りゃならんばい」。

暗闇の中、ミツエさんは宗春さんに声を掛け続けた。しかし、次第に返事は聞こえなくなり、呼吸の音も消えていった。先に救助され、外で待ったが、宗春さんは助からなかった。

 

連れ添って50年以上。口数が少ない宗春さんはいつも聞き役だったが、穏やかな笑顔が不思議と心を落ち着かせてくれた。

毎朝ゆっくりと散歩した川沿いの小道、ニンニクやタマネギを育て始めた家庭菜園…。長く続けたタクシー運転手の仕事を退き、2人の時間を楽しんでいるさなかだった。  

 

対面した宗春さんの頬はとても冷たかった。「私ばっかり助かって。父ちゃんを助けてやれんかった」。

幼い時からかわいがってもらっていた愛美さんも「助かるとうそをついてごめんなさい」。眼前で起きた大切な人の死に、泣いて謝ることしかできない。 

 

産経新聞

うねる大地 夢奪う 学生村ぼうぜん 熊本地震

熊本地震

16日未明の最大震度6強の「本震」に始まり、断続的に襲ってきた余震が、熊本、大分両県の大地を深く切り刻んだ。

道路の寸断で孤立し、土石流で茶褐色と化した集落。雲が厚く垂れ込め、日没を待たずに降りだした大粒の雨が、自衛隊や警察、消防の救助隊の行く手を遮る。

「必ず家族、友人の元へ戻る」。窮地を脱した被災者たちがいる一方で、刻々と犠牲者は増えた。避難所では食料や水などの物資不足という現実もあらわになってきた。  

 

震度6強の激震が学生アパートを押しつぶした。熊本県南阿蘇村の河陽地区。近くにある東海大農学部の学生が多く住む「学生村」で、わずかな差が若者の生死を分けた。

「突然どーんと突き上げられた後、何も分からず隙間に逃げ込んだ」。

助かった若者は地面にへたり込み、やがて、がれきの中から発見された友人たちの遺体を涙で見送った。  

 

崩れ落ちた山が国道57号をのみ込み、阿蘇大橋を崩落させた。

その大橋を渡った先に数十棟のアパートが集まる学生村はあり、約830人が暮らす。4棟ある2階建ての「グリーンハイツ」では複数で1階部分が押しつぶされた。  

 

1階に住む同大3年の宮本真希さん(20)は就寝中、突然の大きな揺れに目が覚め、壁が倒れてきた。

夢中で目の前の隙間に逃げ込んだが、身動きが取れない。自力で逃げた学生たちが救助活動に当たり、「頑張れ」「大丈夫か」と励まし続けた。

約3時間後、知人らがチェーンソーでがれきを取り除き、無事救出。「助かったのは友人たちのおかげです」と感謝した。  

 

別のアパート1階に住む農学部の女子学生(22)も「柱か机の下か分からないが、目の前の何かの隙間に入り込んだ。『助けて!』と何度叫んでも反応はない。

そのうち『壁をたたいてください』という声が聞こえたんで、夢中でどんどんと壁をたたいた」。  

 

同じく1階に住む同大1年の中島勇貴さん(18)はうつぶせで寝ていると、背に重たいものを感じた。

「息苦しく、死にたくないと呼吸に専念した。真っ暗でどれほど時間がたったか分からないが、やがて鳥の声が聞こえ朝だと思った」。チェーンソーで体が通れるだけの穴が開き、引っ張り出された。  

 

救出された学生はぼうぜんと立ち尽くしたり、簡易ベッドにへたりこんだりしていた。その脇を、毛布にくるまれ、ブルーシートで隠された複数の遺体が運び出された。

その姿を見つめながら、学生たちはすすり泣き、手を合わせ、黙とうした。  

 

熊本県警によると、遺体で見つかったのは同大4年の脇志朋弥(しほみ)さん(21)と、同1年の清田啓介さん(18)。2人とも1階で見つかった。もう1遺体は身元が確認されていないが、1階に住む男子学生の可能性が高い。  

脇さんは勉強熱心で、頑張り屋だった。「教員になるか、大学院に進学するか相談を受けていた。本当に残念だ」。先輩の一人は悔しがった。  

清田さんは明るい性格だった。「最後に会ったのは15日。一緒に食堂でご飯を食べた。まさか最後になるなんて…」。同級生は声を詰まらせた。

 

西日本新聞 

生きて…母の祈りは届かず

熊本地震

「生きて」-。そう願って握り続けた娘の手は冷たくなった。16日の地震では、多くの人々の命が容赦なく奪われた。「昨日まであんなに元気だったのに」。家族や友人らは信じられないような現実に打ちのめされ、涙に暮れた。  

 

熊本県益城町福原の自宅で亡くなった河添由実さん(28)は、両親と兄、祖母の5人暮らし。近隣住民によると、つぶれた1階のがれきの隙間から伸びた由実さんの手を握りしめながら、母親は「早く出してあげて」と声を震わせていたという。

小学時代にピアノを教えていた50代女性は「『戦場のメリークリスマス』が好きで、人一倍練習していた。亡くなったのを信じたくない」と泣いた。

 

福岡県宗像市の福田喜久枝さん(63)は夫の実家が益城町にあり、14日の地震で受けた被害の片付けのために来ていて家の下敷きになった。

16日午後8時ごろ、無事だった夫に付き添われ、遺体は宗像市の自宅へ。知人の60代女性は「地域の行事を積極的に引き受けてくれ、頼りにされていた」と目を潤ませた。  

 

自宅の下敷きになり亡くなった熊本県西原村小森の加藤カメノさん(90)と、ひとみさん(79)は義理の姉妹。

ひとみさんの実弟の藤森敬朗さん(66)は「優しい姉さんだった」。西原村で亡くなった野田洋子さん(83)は周囲に手料理を振る舞うのが好きだった。

長女の久美代さん(59)は「孫が関東から帰省すると、うれしそうに料理していた。無理にでも私の家に連れて行けばよかった」と泣き崩れた。  

 

同県嘉島町の冨岡王将さん(84)は、就寝中にがれきの下敷きとなった。約半世紀にわたる親友の徳臣太八郎さん(83)=同町=は「実直な植木職人。私の庭も手入れしてくれた。壊れた私の家を復興して、あの庭を守りたい」と語った。 

 

西日本新聞

絆強かった益城の夫婦、帰らぬ人に 友人の涙止まらず

熊本地震

熊本県益城町平田の西村正敏さん(88)、美知子さん(82)夫妻は仲が良く、近所でも穏やかでまじめな人柄として知られていた。

近所の住民によると、2人は米や麦、梨などをつくった。10年ほど前に正敏さんが病で体が思うようにならなくなるまでは、地区の夫婦らのグループで年に1回、2泊3日の旅行に出かけるのが楽しみだった。

今も美知子さんが自宅で食べる米をつくり、正敏さんの介護もしていたという。  

50年以上の付き合いがあった米満京子さん(78)は16日、避難先の公民館で西村さん夫妻が家に閉じ込められたと聞いた。

「何とか生きていてほしい」と祈った。

亡くなったという知らせに涙が止まらなかった。

「美知子さんは、思うように動けない正敏さんを残して逃げられなかったのかもしれない」。

米満さんは最後まで強かったであろう夫婦の絆を思った。 

 

朝日新聞

就寝中に倒壊家屋の下敷き…高齢者中心に犠牲 「孫が生きがい」「地域の“母”」 

熊本地震

孫が生きがいだったおじいちゃんが、地域の“母”として慕われていたおばあちゃんが、突然帰らぬ人となった。

激しい揺れに再び見舞われた九州では16日、倒壊家屋の下敷きとなり多くの人が犠牲に。

余震への不安が消えない中、降り出した無情の雨。「地盤の緩みが心配」。極度の緊張から被災者は不安を募らせた。  

 

16日午前1時25分。地鳴りのような音が鳴り、1階の寝室で床についていた冨岡王将(おうしょう)さん(84)=熊本県嘉島町鯰=の自宅を、激しい揺れが襲った。天井が崩れ、瞬く間に1階は押し潰された。

一緒に寝ていた妻のシノブさん(78)は、はりが引っかかってできた50センチほどの空間に救われたが、冨岡さんの体にはたんすがのしかかり、手の施しようがなかった。  

シノブさんと長男の謙蔵さん(53)夫婦、3人の孫との7人暮らし。植木職人を勤め上げ、しつけで孫をしかることもあった昔かたぎだが、毎日のように一緒に魚取りや竹トンボ作りを楽しんでいた。  

「孫が生きがいだった。自然災害にはかなわない」。謙蔵さんは無念さを押し殺した。  

 

同県西原村布田に住む加藤ひとみさん(79)と義理の姉のカメノさん(90)も、崩落した家の犠牲になった。  

近所に住む加藤六女(むつめ)さん(79)は、ひとみさんについて「人あたりがよく、料理が上手」と振り返る。子供や孫と暮らしており、畑仕事や草取りを早めに済ませ、家族のために手の込んだメニューを振る舞っていた。

カメノさんはかつて村の小中学校で長年給食調理員として働き、子供たちから慕われていた。元村役場職員の男性は「まるで村のお母さんだった」と話した。

 

産経新聞